第二次世界大戦の真実を語る①メディアにより不誠実に歪曲された事実

なぜ第二次世界大戦についてあなたが知っていることはすべて間違っているのか
マイク・ホイットニー、ロン・ウンズと対談
ロン・アンツとマイク・ホイットニー

2023年6月12日
https://www.unz.com/runz/why-everything-you-know-about-world-war-ii-is-wrong/

質問1:ヒトラー

オーストリアとの統一後、ベルリンに凱旋したヒトラー

ヒトラーから始めよう。
欧米では普遍的にそうだと思われているが、

ヒトラーが第2次世界大戦を始めた。

ヒトラーポーランド侵攻は、
世界征服を目指した広範な作戦の第一歩であった。

第2次世界大戦に関するこの解釈は真実なのか、
それとも誤りなのか?

もしそうでないなら、
ヒトラーポーランドで何を
達成しようとしていたのだろうか?

ロン・アンツ:ここ十数年前までは、
歴史的な出来事に対する私の見方は、
大学で受けた授業や、
何十年にもわたって吸収してきた
メディアの画一的な物語から形成された、
かなり型にはまったものだった。

その中には、
人類史上最大の軍事衝突であり、
その結果が現代世界を形作った
第二次世界大戦についての理解も含まれていた。

しかし、9.11同時多発テロ
イラク戦争後の数年間で、
私は主流メディアの正直さに
ますます疑念を抱くようになり、
史書は往々にして
そうした過去のメディアの
歪曲を凝集したものに過ぎないことを
認識し始めた。

インターネットの発達は、
ありとあらゆる異端的な思想を
膨大な量に解き放ち、私は2000年以来、
過去150年間の主要出版物の
アーカイブをデジタル化する
プロジェクトに取り組んできた。

だから、後にこう書いた:

"私たち自身の感覚的な証拠は別として、
過去や今日のニュースについて
私たちが知っていることは
ほとんどすべて、紙に書かれたインクや
スクリーンに映し出された色とりどりの
ピクセルの断片からもたらされる。"

このような非伝統的な
ウェブ上の情報源から提供される
正統的でない主張の圧倒的多数が
誤りであったとしても、

少なくとも、膨大な虚偽の山から
重要な真実のナゲットを抽出する可能性は存在する。

確かに、ここ十数年の出来事は、
私自身の現実検出装置を
完全に再調整することを余儀なくされた。

こうしたすべての進展の結果として、
私は10年前に、
この一節を含むオリジナルのアメリカン・プラウダの記事を発表した。

その記事の中で私は、

世界とその過去について
私たちの歴史書やメディアが伝えていることは、

往々にして、
消え去ったソ連の悪名高いプラウダと同じように
不誠実で歪曲されたものである
可能性があることを強調した。

アメリカのプラウダ
ロン・ウンズ - アメリカの保守主義者 - 2013年4月29日 - 4,500文字

https://www.unz.com/runz/our-american-pravda/

当初、私はより最近の歴史的出来事に
焦点を当てていたが、
やがて第二次世界大戦の 
歴史についても多くの本を読み、
調査するようになった。

おそらく私は、
このことに気づいてもあまり
驚くべきではなかっただろう。
結局のところ、
もし私たちのメディアが
今ここで起きている出来事について
これほどあからさまな嘘をつくことが
できるのであれば、はるか昔、
はるか彼方で起きた事柄について、
なぜ私たちはメディアを
信用しなければならないのだろうか?

私は最終的に、
第二次世界大戦の真実の歴史は、
私たちの多くがこれまで信じてきたものとは

まったく異なっているだけでなく、
その大部分が逆転しているという結論に達した

私たちが読んできた主流の歴史書は、
その物語を上下逆さまに語っていたのだ。

ヒトラーと開戦に関しては、
オックスフォードの著名な歴史家
A.J.P.テイラーが1961年に出版した
古典的著作『Origins of the Second World War
第二次世界大戦の起源)』が
優れた出発点になると思う。
私が2019年に彼の結論を述べたように:

ヒトラーの最終的な要求、
すなわち95%のドイツ領ダンツィヒ
住民の希望通りにドイツに返還する
という要求は、まったく妥当なものであった。

ヒトラーが世界を
征服しようとしていたという、
後に広まった主張はまったく馬鹿げており、
ドイツの指導者は実際、
イギリスやフランスとの
戦争を避けるためにあらゆる努力をしていた

実際、ヒトラー
ポーランド人に対して非常に友好的で、
スターリンソビエト連邦の脅威から
ポーランドをドイツの同盟国として
迎え入れようとしていた。

何千万人もの命を奪ったこの紛争が勃発してから
70年という節目の年に、
当然のことながら多くの歴史的な記事が書かれ、

その結果、
私は古いテイラーの短編集を引っ張り出し、
約40年ぶりに再読した。

大学の寮に住んでいた頃と同じように、
この本は傑作であり、説得力があることがわかった。

ワシントン・ポスト』紙は著者を
「英国で最も著名な存命の歴史家」と称賛し、
『ワールド・ポリティックス』紙は
「力強く論じられ、見事な文章で、
常に説得力がある」と評し、
英国を代表する左派雑誌
『ニュー・ステーツマン』誌は
「傑作:明晰で、思いやりがあり、
美しく書かれている」と評し、
高名な『タイムズ・リテラリー・サプリメント』誌は「シンプルで、破壊的で、非常に読みやすく、
深く心を揺さぶる」と評している。

国際的なベストセラーとなった本書は、
テイラーの最も有名な
作品であることは間違いなく、
出版から20年近く経った今でも
私の大学の必読書リストに
載っている理由は容易に理解できる。

しかし、テイラーの画期的な研究を再訪する中で、
私は驚くべき発見をした。

国際的な売れ行きと、批評家の絶賛にもかかわらず、
この本の発見はすぐに、
ある方面ではとてつもない敵意を
呼び起こしたのである。

オックスフォードでのテイラーの講義は
四半世紀にわたって
絶大な人気を誇っていたが、
論争の直接的な結果として、
「英国で最も著名な存命中の歴史家」
はほどなく教授陣から即座に粛清された。

最初の章の冒頭で、テイラーは、
世界で最も激甚な戦争が
始まってから20年以上経っても、
その勃発を注意深く分析した
本格的な歴史書が作成されていないことが
いかに不思議であるかを述べていた。

おそらく、彼が遭遇した報復は、
そのパズルの一部を
よりよく理解することにつながったのだろう。

同時代から最近に至るまで、
数多くの一流の学者や
ジャーナリストが非常によく似た結論に達したが、
彼らはその正直な歴史的評価に対して
厳しい報復を受けることがあまりにも多かった。

何十年もの間、
ウィリアム・ヘンリー・チェンバリンは
アメリカで最も高く評価された
外交政策ジャーナリストの一人だったが、
1950年に『アメリカの第二の十字軍』
を出版した後は、
ほとんどの主流出版物から姿を消した。

デイヴィッド・アーヴィングは、
第二次世界大戦に関する彼の
代表的な著書が批評家から
絶大な評価を受け、
数百万部を売り上げるなど、
過去100年間で最も国際的に成功した
イギリス人歴史家である。

1930年代後半までに、ヒトラーはドイツを復活させ、
彼の統治下で新たに繁栄し、
また、分離していたいくつかの
ドイツ系住民との再統一にも成功した

その結果、ヒトラー
世界で最も成功し人気のある指導者の一人として
広く認められるようになり、
民主的に選出されたワイマールの前任者たちが
考えたこともないような寛大な譲歩を提示し、
ポーランドの国境紛争を
最終的に解決することを望んだ。

しかし、ポーランド独裁政権
その代わりに、
彼の交渉の試みを拒絶することに数カ月を費やし、
また少数派のドイツ人に対する残虐な虐待を始め、
ついにはヒトラーを宣戦布告に追い込んだ。

https://www.unz.com/runz/american-pravda-understanding-world-war-ii/

そして2019年に私が論じたように、
その戦争を引き起こすことが、
ある有力者の意図的な目的だったのかもしれない。

ヨーロッパの大部分を荒廃させ、
おそらく5、6千万人が死亡し、
共産主義政権がユーラシア大陸の半分を支配する
冷戦時代を生み出した。

テイラーやアーヴィングをはじめとする
多くの人々は、
ヒトラーの世界征服への狂気の欲望が
原因であるという馬鹿げた俗説を
徹底的に否定してきた。

それとも、
この大規模で破壊的な世界大戦は、
従来の歴史がその大部分を失策、
誤解、軽率なエスカレーションの
集合によるものとして扱ってきた前大戦と、
いくらか似たような形で起こったのだろうか?

1930年代、ジョン・T・フリンは
アメリカで最も影響力のある
進歩派ジャーナリストの一人であり、
当初はルーズベルト
そのニューディールの強力な支持者であったが、
次第に鋭い批判者となり、
FDRのさまざまな政府計画は
アメリカ経済の復興に失敗したと
結論づけた。

そして1937年、新たな経済破綻によって
失業率は大統領就任当初と同じレベルにまで跳ね返り、
フリンの厳しい評決を裏付けることとなった。


実際、フリンによれば、1937年後半には、
FDRは自国を大規模な
対外戦争に巻き込むことを目的とした
積極的な外交政策に舵を切っていた。

1938年1月5日付の
『ニュー・リパブリック』誌のコラムで彼は、
ルーズベルトの最高顧問が
「軍事的ケインズ主義」と大規模な戦争が
この国の克服不可能と思われる
経済問題を解決すると内々に自慢した後、
海軍の大規模な軍備増強と戦争が
目前に迫っていることを
不信感を抱く読者に警告した。

当時は、日本との戦争、
おそらくはラテンアメリカの権益をめぐる
戦争が目標とされていたようだが、
やがてヨーロッパで起こった出来事から、
FDRはドイツとの総力戦を煽ることが
最善の策であると考えるようになった。

後世の研究者が入手した回顧録やその他の史料は、
ルーズベルトが外交官に命じて
イギリスとポーランドの両政府に多大な圧力をかけ、
ドイツとの交渉による解決を回避させ、
1939年の第二次世界大戦の勃発に
つながったことを示しており、
フリンの告発をおおむね裏付けているようだ。

重要な歴史的出来事に
最も近い人たちの内密の意見には、
証拠としてのかなりの重みが
与えられるべきであるからだ。
ジョン・ウェアは最近の論文で、
FDRがイギリスの政治指導部に
絶えず圧力をかけ、世界大戦を画策した
中心的人物であることを示唆する
同時代の数多くの評価をまとめた。

他の証言の中には、
ワシントンのポーランド大使と
イギリス大使、
ロンドンのアメリカ大使の声明があり、
チェンバレン首相自身の
同意意見も伝えられている。

実際、1939年にドイツが
ポーランドの秘密外交文書を拿捕し、
公表したことで、
この情報の多くがすでに明らかになっていた。

ウィリアム・ヘンリー・チェンバリンは
1950年の著書で、
その信憑性を確認している。

しかし、主要メディアが
この情報を一切報じなかったため、
これらの事実は今日でも
ほとんど知られていない。

 

これらの歴史的出来事については、
2019年の記事で詳しく述べた:

https://www.unz.com/runz/american-pravda-understanding-world-war-ii/

アメリカのプラウダ第二次世界大戦を理解する
ロン・ウンズ - ウンズ・レビュー - 2019年9月23日 - 20,500字