ほぼすべての国は世界的な大恐慌に陥っていたが、 ヒトラーは繁栄したドイツを復活させた。

アメリカのプラウダ

ヒトラーはいかにして連合国を救ったか③
ロン・ウンズ - ウンズ・レビュー

 2019年5月13日

https://www.unz.com/runz/american-pravda-how-hitler-saved-the-allies/

第二次世界大戦ボリシェヴィキ革命の
デリケートな要素について、
ほとんどすべての西洋の歴史家が示した
極端な警戒心と臆病な沈黙は、
彼らが正統派から外れた場合に
直面するかもしれない
職業上および個人的なリスクを考えれば、
私たちが完全に
驚くべきことではないのかもしれない。

デイヴィッド・アーヴィングの例を考えてみよう。
プロとしてのキャリアの前半は、
広く翻訳されたベストセラーを連発し、
何百万冊もの本を出版したことで、
過去100年間で最も国際的に成功した
イギリス人歴史家としての地位を確立した。

しかし、公的な正統性を
無視する姿勢を何度も示すうちに、
多くの強敵を惹きつけ、
ついには評判を落とし、
自己破産に追い込まれ、
投獄まで手配された。

この四半世紀の間に、
彼はますます無個性な存在となり、
時折メディアで
彼の名前が取り上げられるだけで、
ルシファーやベルゼバブへの言及と
同じようなお守り的な呼び方をされるようになった。あれほど高名で成功した歴史家が
ここまで落ちぶれるとしたら、
普通の学者が同じような運命を
あえて冒すだろうか?
ヴォルテールは、たまに提督を撃つことは、
他の提督を勇気づける
素晴らしい方法だと述べている。

デイヴィッド・アーヴィングの驚くべき歴史学
Ron Unz - The Unz Review - 2018年6月4日 - 1,700文字

https://www.unz.com/runz/the-remarkable-historiography-of-david-irving/

アーヴィングの輝かしいキャリアを
破壊したのはユダヤ人活動家の手によるもので、
彼らは彼のヒトラーに対する
バランスの取れた扱いや、
戦時中に広く受け入れられていた
神話の多くを調査することへの
継続的なコミットメントに憤慨し、
彼が "本当の歴史 "と呼ぶものに
置き換えることを望んだ。

ヒトラーの戦争』の新版の序文で、
彼は1988年にニューヨークで
『タイム』誌の記者が
彼と夕食を共にしたときのことを語っている。

ヒトラーの戦争までは、
彼は一歩も間違うことなく、
メディアの寵児だった。

アーヴィングも承知していたように、
戦時中に敵国の指導者を
不当に酷評することは珍しいことではない。
今日ではほとんど忘れ去られてしまったが、
第一次世界大戦の大部分と
その後何年もの間、
ドイツの君主であった
カイザー・ヴィルヘルムは、
血に飢えた怪物、
これまで生きてきた中で
最も邪悪な人物の一人として、
連合国側で広く描かれていた。

この誹謗中傷は、
ヴィルヘルムがイギリスの
ヴィクトリア女王の最愛の
長孫であったにもかかわらず、起こった。

さらに、連合国側のプロパガンダは、
ヴィルヘルムを容赦ない戦争屋として
描くのが常であったが、実際、
彼はその治世の最初の25年間、
ドイツを一度も
主要な軍事衝突に巻き込まなかった。

実際、私は最近、
8月の号砲が発射されるわずか1年前に、
ニューヨーク・タイムズ』紙が
ヴィルヘルムの治世の最初の四半世紀を示す
長文のプロフィールを掲載し、
彼を世界有数の平和主義者として
称賛していたことを知った:

いまや......彼は、
現代が示すことのできる最大の平和要因として、
あらゆる場所で称賛されている。
ヨーロッパに戦雲が立ち込めるたびに、
世界最大の軍事組織
(彼自身が築き上げた組織)に
支えられた圧倒的な個性の重みを、
平和のために何度も何度も投げかけたのは
彼だったと聞いている。
('プロイセン王でドイツ皇帝のウィリアム2世、
カイザーとして25年の支配者、
チーフ・ピースメーカーとして賞賛される', 
New York Times, 8 June, 1913)

この『タイムズ』紙の賛辞の短い抜粋は、
私が言及したことのない
別の問題を指し示している。
私は2000年代の大半を、
過去150年にわたるアメリカの
主要出版物数百点の完全なアーカイブ
デジタル化して
利用可能にすることに費やしたが、
時折その内容に目をやると、
次第に奇妙なことに気づいた。

今日の英語圏では、
戦時中のドイツの統治者を必ず
 "カイザー・ウィルヘルム "と呼ぶが、
開戦前はごく稀に
 "皇帝ウィリアム "と呼ばれていた。

フリードリッヒ・デア・グロッセ "ではなく、
"フリードリッヒ・ザ・グレート "と
常に呼ばれていたのだから。

しかし、怪物のように異質な
 "カイザー "を打ち負かすために、
何百万人もの市民を
泥沼の塹壕に動員して死なせるのは、
イギリスやロシアの君主のいとこにあたる
 "善良な皇帝ウィリアム "よりも
はるかに簡単であることは明らかだ。

グーグルブックスの
NGramビューアーを見ると、
その変化の時期がよくわかる。

特に開戦後、
イギリスがドイツへの敵対心を強めるにつれて、
イギリス語圏の慣習は変化していった。 
しかし、「ウィリアム皇帝」が
「カイザー・ウィルヘルム」に
永久に取って代わられたのは、
第二次世界大戦直前の数年間、
ドイツが再び敵国となる可能性が
高まった後のことである。

第一次世界大戦については、
当時の出版物にも
多くの矛盾した事実が記されている。

専門家にとっては周知の事実だが、
一般的な教科書ではほとんど扱われず、
ほんの一、二文の記述に留まっている。

たとえば、ドイツは
かなりの軍事的成功を収めたにもかかわらず、
1916年後半、
膠着状態にあった戦争を
交渉によって終結させ、
大洋に広がる新たな流血を回避しようと、
大規模な和平工作を開始した。

https://caritaspes.hatenablog.com/entry/2019/06/06/014509

しかしこの提案は、
連合国側とその擁護者たちによって、
世界の主要な定期刊行物の紙面で
激しく拒否された。

その年、連合国をリードしていたイギリスでは、
戦争熱はまだ非常に強かった。
バートランド・ラッセル
ロレボーン卿のような著名な平和擁護論者が、
交渉による戦闘終結を促し、
影響力のある
『ロンドン・エコノミスト』誌の
編集者がそれを強く支持したとき、
彼らは厳しく中傷され、
後者はその職を辞さざるを得なかった。

同じく熱心な平和擁護者であった
E.D.モレルは、
その活動のために過酷な条件で投獄され、
健康を永久に害し、
釈放から数年後に51歳で早世した。

戦時中の感情や、紛争を生み出した
ヨーロッパの国内政治について、
私たちがひどく歪んだ
理解をしていることに対する
優れた解毒剤として、
当時アメリカで最も影響力のあった
知識人の一人であった
ロスロップ・ストッダードの
『現在のヨーロッパ』を強く推薦したい。

アメリカ自身がこの紛争に参戦する前に
書かれたこの著作は、
やがてアメリカの歴史学では
ほとんど不可能となる、
驚くべき学問的冷静さを提供している。

現在のヨーロッパ
その国民精神状態
ロスロップ・ストダード - 1917年 - 74,000字

https://www.unz.com/book/lothrop_stoddard__present-day-europe/

ドイツ皇帝の悪魔的な描写は、
休戦後数年のうちにすでに
バランスの取れた扱いに取って代わられ、
一世代後には消えてしまったが、
第二次世界大戦の後継者の場合は、
そのような同様のプロセスは起こっていない。

実際、アドルフ・ヒトラーナチスは、
今日の私たちの
文化的・イデオロギー的景観の中で、
戦争直後よりもはるかに大きく
浮かび上がっているように見える。

https://newamericangovernment.org/1939-german-economic-policy-under-hitler/

1980年代初頭にハーバード・カレッジの
同級生たちと楽しんでいた、
第二次世界大戦問題に関する
気軽な夕食の席での会話は、
今日ではまったく不可能に
なっているのではないだろうか。

「良い戦争」が世俗的な宗教に変貌し、
怪物や殉教者が指定されるようになったのは、
ある程度、ソビエト連邦
最終的に崩壊した時期に起こったことと
似ているかもしれない。

ソビエト連邦の経済システムの
明らかな失敗によって、
政府は大祖国戦争での勝利を
正統性の主要な源泉として延々と祝うことに
ますます頼らざるを得なくなったのである。

アメリカの一般労働者の実質賃金は
50年間低迷しており、
ほとんどの成人が500ドル以下の
貯蓄しか持っていない。

それは40~50年前でも
すでに相当なものであったが、
今や外交政策、金融、メディアを問わず、
絶対的に圧倒的なものとなっており、
少数派であるわれわれの2%が、
われわれの社会と政治システムの
ほとんどの面において
前例のない支配力を行使している。

アメリカのユダヤ人のうち、
伝統的な宗教的信条を持つ者は
ごくわずかであるため、
イスラエル国家とホロコーストという
双子の崇拝がその空白を埋める役割を果たし、
第二次世界大戦の個人と出来事が、
ユダヤ人社会を統一するのに役立つ
神話の中心的要素の多くを構成している。

しかし、宗教的教義に基づく信仰は、
しばしば経験的現実から大きく乖離する。

異教徒のドルイド教徒は、
特定の神聖なオークの木を崇拝し、
その木には自分たちの守護神である
ドライアドの魂が宿っていると
主張するかもしれない。

「現在の公式教義」では、
アドルフ・ヒトラーナチス・ドイツは、
「世界史上最も残酷で執拗な攻撃的政権」

のひとつとされているが、
当時、戦争相手国の指導者たちは、
このような重大な事実から目を背けていたようだ。

『パイク作戦』は、
英仏の政府・軍指導部の秘密裏の
内部協議に関する膨大な資料を提供しているが、
そのどれもが、彼らがドイツの敵国を
ごく普通の国とみなしていたこと、
そしておそらくは、
ポーランドの小さな国境紛争程度のことで
大きな戦争に巻き込まれたことを、
時折後悔していたことを示唆している。

1939年後半、アメリカの大手
ニュース・シンジケートは
ストッダードに戦時下のドイツに
数カ月滞在させ、彼の視点を提供させた。

帰国後、彼は1940年に
すべての情報をまとめた本を出版した。
彼の取材はおそらく、
国家社会主義ドイツのありふれた国内事情について、
アメリカで最も客観的かつ包括的に
記述したもののひとつであり、
80年間、ますます非現実的になるハリウッドの

プロパガンダ染まった現代の読者には、
むしろ衝撃的に映るかもしれない。

闇の中へ
戦争中の第三帝国内部からのノーカットレポート
ロスロップ・ストッダード - 1940年 - 79,000字

https://www.unz.com/book/lothrop_stoddard__into-the-darkness/

そして、われわれの標準的な歴史は
決してこのことを認めないだろうが、
実際の戦争への道筋は、
ほとんどのアメリカ人が
信じているのとはかなり違っていたようだ。

知識豊富なポーランドアメリカ、
イギリスの政府高官による
広範な文書証拠は、ヨーロッパ紛争勃発の背後には
ワシントンからの圧力が
重要な要因であったことを示している。

実際、ジョン・T・フリンや
ハリー・エルマー・バーンズといった
当時のアメリカを代表する
ジャーナリストや知識人たちは、
フランクリン・ルーズベルト
大規模なヨーロッパ戦争を
引き起こそうとしているのではないかと
危惧しており、

それが彼のニューディール改革による
明らかな経済的失敗から彼を救い、
おそらくは前例のない
3期目出馬の口実となることを期待している
と公言していた。

これがまさに最終的に起こったことなのだから、
このような非難はまったく

不合理とは思えないだろう。

そして、FDRの国内的失敗とは
皮肉な対照をなすように、
ヒトラー自身の経済的成功は莫大なものであった。

左翼の象徴的存在である
アレクサンダー・コックバーンは、
2004年のカウンターパンチのコラムで
こう述べている:

1933年にヒトラーが政権を握ったとき、
失業率は40%に達していた。

景気回復は、武器支出による
刺激なしにもたらされた
......アウトバーンのような
大規模な公共事業が行われた。

ヒトラーは、財政赤字
自分の政策に対する銀行家の抗議には
ほとんど関心を示さなかった。

金利は低く抑えられ、
賃金は固定されたものの、
完全雇用のおかげで世帯収入は増加した。
1936年には失業率は1%にまで低下した。
ドイツの軍事費は1939年まで低水準で推移した。

ブッシュだけでなく、
ハワード・ディーンや民主党も、
初期のケインジアンヒトラーから
経済政策の教訓を学ぶことができるだろう。

他のほとんどすべての国が
世界的な大恐慌に陥っている間に、
繁栄したドイツを復活させたヒトラーは、
イデオロギーの枠を超えた
あらゆる人々から熱烈な賞賛を浴びた。

1936年の長期訪問の後、
戦時中のイギリスの元首相
デイヴィッド・ロイド・ジョージは、
ヒトラー首相を
「ドイツのジョージ・ワシントン」、
最高の国民的英雄であると激賞した。

https://www.facinghistory.org/resource-library/george-washington-germany

1930年代、
ヒトラーは世界で最も人気があり、
成功した国家指導者として
広く認められていたという
もっともらしい主張を、
私はあちこちで何年も目にしてきたし、
1938年の『タイム』誌の
「マン・オブ・ザ・イヤー」に
選ばれたという事実も、
その考えを裏付ける傾向がある。

ドイツの1%のユダヤ系住民が
ドイツのメディアと金融を
支配していたのを追い出し、
99%のドイツ系住民の利益のために
国を運営することに成功した
ヒトラーに憤慨し、
ヒトラーを激しく敵視し続けたのは
国際ユダヤ人だけだった。

9.11テロの後、
ユダヤネオコンアメリカを
悲惨なイラク戦争
その結果としての中東破壊へと駆り立てた。

それ以来、私たちは定期的に
同じキャッチフレーズを
さまざまに修正して繰り返し、

「ムアンマル・カダフィはもう一人のヒトラーだ」、「マフムード・アフマディネジャド
もう一人のヒトラーだ」、
ウラジーミル・プーチンはもう一人のヒトラーだ」、

さらには「ウゴ・チャベスはもう一人のヒトラーだ」と言われるのを耳にしてきた。
ここ数年、アメリカのメディアは
 "ドナルド・トランプはもう一人のヒトラーだ "
という主張で執拗に埋め尽くされている。

2000年代初頭、
私はイラクの支配者が
過酷な暴君であることは当然認識していたが、
サダム・フセイン
アドルフ・ヒトラーではないことを
よく知っていたため、
不条理なメディアのプロパガンダ
鼻で笑っていた。

しかし、インターネットの着実な発展と、
私のデジタル化プロジェクトによって
提供される数百万ページの
定期刊行物の利用可能性によって、
私はアドルフ・ヒトラー
アドルフ・ヒトラーではなかったことも
徐々に発見し、非常に驚いている。

第二次世界大戦のストーリーは、
フランクリン・ルーズベルト
アドルフ・ヒトラー率いる
繁栄し平和を愛するナチス・ドイツとの
ヨーロッパ大戦を画策することで、
国内の難局から逃れようとした
というものだと主張するのは、
完全に正しいとは言えないかもしれない。

しかし、その図式は、
私たちの教科書によく見られる
倒置されたイメージよりも、おそらく

実際の歴史的現実にいくらか近いと私は思う。