第二次世界大戦の真実⑤メディアが報道しない真珠湾攻撃の裏側

なぜ第二次世界大戦についてあなたが知っていることはすべて間違っているのか
マイク・ホイットニー、ロン・ウンズと対談
ロン・アンツとマイク・ホイットニー

2023年6月12日
https://www.unz.com/runz/why-everything-you-know-about-world-war-ii-is-wrong/

第5問 真珠湾攻撃

日本の真珠湾攻撃は予期せぬものだったのか、
それとも日本が軍事的に
対応せざるを得なくなるような
アメリカの数々の挑発行為が先行していたのか?

ロン・ウンズ

1941年12月7日、
日本軍は真珠湾を拠点とする
わが太平洋艦隊に対して奇襲攻撃を仕掛け、
わが国最大の軍艦の多くを沈没させ、
2,400人以上のアメリカ人を殺害した。

その結果、アメリカは突如として
第二次世界大戦に突入し、
その日は我が国の歴史上
最も有名なものとして「悪名高く」
語り継がれることになった。

当時、
ほとんどすべての一般的なアメリカ人は、
日本の攻撃を衝撃的で、
いわれのない青天の霹靂とみなし、
80年以上にわたって、
主流の歴史書やメディア報道は
その強い印象を補強してきた。
しかし、2019年に私が説明したように、
実際の事実はまったく異なっている:

1940年以降、FDRは
対独戦争にアメリカを直接巻き込もうと
政治的に多大な努力をしていたが、
世論は圧倒的に反対側で、
世論調査では国民の8割が反対していた。

しかし、日本の攻撃が
ハワイに投下されると、この状況は一変した。

このような事実から、
ルーズベルトが日本の資産を凍結し、
重要な燃料油の全輸出を禁輸し、
東京の指導者たちからの
度重なる交渉要請をはねつけるという
行政決定を下したことで、
攻撃を意図的に誘発したのではないかという
疑念が生まれたのは当然のことだった。

バーンズが編集した1953年の本の中で、
著名な外交史家チャールズ・タンシルは、
FDRがドイツに対する最高の
「戦争への裏口」として
日本の攻撃を利用しようとした、
という彼の非常に強い主張を要約している。

数十年にわたり、
個人の日記や政府文書に記載された情報から、
この解釈はほぼ
決定的なものとなっているようだ。
ヘンリー・スティムソン陸軍長官は、
「(日本を)最初の一発を撃つように操る」
計画であったと述べている。

1941年までに、アメリカは
日本の外交暗号をすべて解読し、
秘密通信を自由に読めるようになっていた。

従って、大統領は日本軍の艦隊攻撃計画を
熟知していたにもかかわらず、
故意に現地司令官への警告を怠り、
その結果アメリカが
大きな損害を被ったとしても、
戦争に向け団結する
復讐心に燃えた国民を生み出すことになった、
という考えも、議論の余地はあるにせよ、
長い間広く存在していた。

タンシルと議会調査委員会の元主任研究員は、
1953年に出版された
同じバーンズの本の中でこの主張を展開し、
その翌年には元米海軍提督が
真珠湾の最終秘密』を出版して、
同様の主張をより長く展開した。

この本には、第二次世界大戦時の
アメリカ最高位の海軍司令官の
一人による序文もあり、
物議を醸したこの説を全面的に支持している。

2000年には、ジャーナリストの
ロバート・M・スティネットが、
8年にわたるアーカイブ調査に基づいて、
さらに豊富な裏付け証拠を発表した。

もしワシントンが真珠湾の司令官たちに
警告していたなら、
彼らの防衛準備は
現地の日本のスパイに気づかれ、
接近してくる機動部隊に伝えられただろう。
そして奇襲の要素が失われたことで、
攻撃はおそらく中止され、
FDRの長年の戦争計画はすべて頓挫しただろう、
というのがスティネットの指摘である。

様々な詳細については
異論があるかもしれないが、
ルーズベルトが予知していたという
証拠には説得力がある。

昨年、私はこれらの議論をさらに発展させた:

https://www.unz.com/runz/world-war-iii-and-world-war-ii/

この歴史的再構成は、
多くの追加資料によって
強力に裏付けられている。
この時期、レビロ・P・オリバー教授は
軍事情報部の要職に就いていたが、
40年後に回顧録を出版した際、
FDRが意図的に日本を騙して
真珠湾攻撃を仕掛けたと主張した。

日本がポルトガルの外交暗号を
破ったことを知っていたFDRは、
ポルトガルの大使に、
日本が自国を過剰に拡張するまで待ち、
それから太平洋艦隊に命じて
本国の島々に壊滅的な奇襲攻撃を
仕掛けるという計画を伝えた。

オリバーによれば、
その後の日本の外交公電は、
FDRが突然日本への攻撃を
計画していることを、
日本が見事に確信したことを明らかにしたという。

実際、真珠湾攻撃のほんの2、3ヶ月前、
アメリカで最も
人気のある雑誌のひとつである
『Argosy Weekly』誌は、
まさにそのような壊滅的な奇襲攻撃を
海軍事件の報復として東京に行い、
太平洋艦隊の強力な爆撃機
準備の整っていない日本の首都に
甚大な損害を与えるという
架空のカバーストーリーを掲載していた。

ルーズベルト政権がこの記事の出版に
手を貸さなかったのだろうか。

1940年5月の時点で、
FDRは太平洋艦隊をサンディエゴの母港から
ハワイの真珠湾に移転するよう命じていた。

この決定は、不必要に
挑発的で危険であるとして、
指揮官であったジェームズ・リチャードソン提督が

強く反対し、彼はその結果解雇された。

さらに真珠湾攻撃の直後には、
あまりにも関心が薄いと思われる
奇妙な国内事件もあった。

その時代、映画は最も強力な
大衆メディアであった。
しかし、異邦人が支配していたのは
アメリカの主要スタジオのうちの1つだけであった。

アメリカの人口の97%を異邦人が占めていたにもかかわらずである。

おそらく偶然であろうが、
ウォルト・ディズニー
ハリウッドの高官の中で唯一、
反戦陣営に位置していた人物でもあった。

そして、日本軍の奇襲攻撃の翌日、
数百人の米軍が
ディズニー・スタジオを占拠した。
数千キロ離れた日本軍から
カリフォルニアを守るためだったと
言われているが、
軍事占領はその後8ヶ月間続いた。

2001年9月12日、もしブッシュ大統領が、

さらなるイスラム主義者の攻撃から
ニューヨークを守るために必要だとして、
CBSネットワークの事務所を
押収するよう即座に軍に命じたとしたら、
人々は不審に思っただろう。

真珠湾が爆撃されたのは日曜日であり、
FDRとその側近たちが
日本軍の攻撃が間近に迫っていることを
完全に知っていたのでなければ、
災害の余波に完全に気を取られていたに違いない。
実際の "奇襲 "攻撃の後、
米軍が月曜日の早朝に
ディズニー・スタジオを掌握する準備が
できていたとはとても思えない。

https://thedisneyproject.wordpress.com/2012/02/02/walt-disneys-war-effort/