19世紀後半スイスにおけるユダヤ教の屠殺方法 シェヒターの禁止③

19世紀後半スイスにおけるユダヤ教の屠殺方法 シェヒターの禁止 動物保護協会の活動と会員の社会構成を中心に

原文

http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es12_akiyama.pdf

同志社大学 グローバル地域文化学部 グローバル地域文化学科 准教授

穐山 洋子氏の論文です。

 

3.動物保護協会会員の社会構成とその比較

3.1. 動物保護協会会員の社会階層分析

前章ではシェヒター禁止運動の推進役であったベルン、チューリヒ、アールガウ の各協会の設立の経緯、 
重点課題、 特に協会活動に影響力をもった会長について考察し、
各協会の地域性や会長の意向に起因する活動方針の差異を明らかにした。
本章では各協会にどのような社会階層グループが属していたのかを明らかにするために、
会員分析 (社会階層分析) を、 年次報告の名簿上の職業をもとに行う。 

会員名簿という史料の性格上、 職業申告がないケースも多く、 また自営業か給与所得者の区別もなく、
さらに納税額等の収入に関する情報もないため厳密な分析は難しい。 

しかし、職業を基準とした5つの階層概念を使用することで一定の像を示すことは可能である。
すなわち、 職業を 
① 貴族、 
② 上層市民層 (経済市民層、 教養市民層、 高位の官公吏)、
③下層市民層(旧中間層、新中間層、 その他中間層)、 
④下層(下 位の官公吏・一般職員、労働者、 手工業者、被雇用サービス業者、 農業労働者・兵 士・身障者)、
⑤その他 (一般: 寡婦・学生・年金生活者、名誉職)の5つに分類し、 これに基づき分析する。 

この分析を、シェヒター禁止運動がそれほど活発でない 1860年代から1870年代とシェヒター禁止運動が最も盛んとなる 1890年代の2つの時期について行い、
動物保護協会運動の主体像と19世紀後半の会員の社会構成およ びその変容を明らかにし、 
協会の比較を通して会員の社会構成の類似性と差異について考察する。

分析結果を表1に示した。 
職業申告がない会員の割合がかなり高く、
ここには女 性会員が多数含まれている。 

まず年代の比較を見ると、 地域によって割合に違いが あるものの、
19世紀後半の社会における中間層 (下層市民層)の拡大が協会会員の社会構成にも反映しており、 
19世紀末にはより広い市民層が会員になっている。

しかしながら労働者や小農といった下層の割合は1890年代でもかなり低く、 
動物保護協会はすべての人に開かれた協会を標榜していたが、
ほぼ市民層に限られた協会であったといえよう。 
地域差に目を向けると、 
ベルンでは 1871年1893年とも下層 市民層(29.4%、 39.5%) が最大グループを形成しているのに対し、 
チューリヒでは 1860年、 1894年とも上層市民層 (41.8%、 44.5%) の割合が一番高く、 
アールガウ では1870年時点では、上層市民層 (38.1%) の割合が一番高かったが、 
1892年では 下層市民層 (48.8%) の割合が突出して高くなっている。

表1: 動物保護協会会員の職業による社会階層分析 ①


1890年代の会員の社会構成をもう少し細かい職業分類で考察し、より具体的な会 員像を示すと(表2参照)、 
ベルンでは下層市民層が最大グループを形成 ( 39.5%) しており、
その中でも最大グループは新中間層の16%で、 
1871年と比較すると会員 数で5倍、割合では約3倍にも増加している。 

それに拮抗しているのが旧中間層の 15.5%、
次に教養市民層の 10.1%が続いている。 

これに対して、チューリヒでは教養市民層の割合が特に高く 20%を占め、 
この割合は1860年からほぼ変化していない。 
それに続くグループは高位の官公吏 (14.8%)、 
そして経済市民層 (9.8%)である。 
チューリヒでは社会的には中間層が拡大しつつも、
協会では伝統的な市民層 (上 層市民層)の勢力が衰えず、 会員数が他の2協会と比べ少ないのは中間層を取り込めなかったことに原因があるといえるだろう。 

アールガウでは新中間層の割合が一番高く (22.4%)、 
高位の官公吏 (16.4%) と旧中間層 (15.9%) が拮抗してそれに 続いている。 
チューリヒとは異なり、 アールガウではすでに1870年代から新中間層の割合がかなり高かったが、 
1890 年代にさらにより広範な中間層が会員になってい る。
経済市民層や教養市民層の数も増えているが、 
中間層の増加の割合の方が高く、 それに伴い、
当時の一般社会の社会構成と同様に、上層市民層の割合が低くなっているのが特徴的である。

表2: 動物保護協会会員の職業による社会階層分析②

更に詳細に 1890年代の各協会の会員分析を見てみると、
ベルンでは、 上位3位の 職業グループが手工業(7.9%)、 商人 (7.4%)、 中位の官公吏 (6.3%) で、
すべ て下層市民層に属する職業グループだが、 
10%を超える圧倒的な職業グループが存在しないのがベルンの特徴である。 

また、 動物保護思想の伝道者として理想的だとされた牧師(高位の教会職員) が会員数でも割合としても
他の2協会に比べ少ない のも特徴的である。 

チューリヒにおける上位3位の職業グループは、 
自由業者 (9.3%)、 牧師 (5.4%) 手工業者 (5.2%) と上層市民層の中でも特に自由業者の割合が高く、 
これは他の2協会にはない傾向である。 

また牧師の割合が高いのもチューリヒの特徴である。 これらは、 長期間会長を務めたヴォルフの交友関係と関係があると推測 できる。 
アールガウでは、 公吏 (11.7%) 教師 (11.2%)、 手工業者 (10.5%)と、 
下層市民層の中でも公吏と教師の割合が高く、 
これはアールガウが動物保護思想の普及のために行政と教育機関の連携体制を上手に構築したことを示すものであり、 
その結果スイスで一番多くの会員を有する動物保護協会に発展したのである。 

また、 アールガウでは他の2協会とは異なり少数ではあるが労働者と小農の割合が比較的高く、
アールガウの協会がより下層に開かれた協会であったことを示している。

分析結果から3協会の会員の社会構成における共通点を3つ挙げることができるだろう。
第一に、 教師の数が、 ベルン (0.8%→4.4%)、 チューリヒ (1.8%→4.1%)、 アールガウ(9.6%→11.2%) と、 
割合と増加率に差はあるものの、それぞれ伸びている点である。
これは動物保護思想の啓蒙対象が主に青少年に置かれ、 教師はそのための勧誘の対象であり、 
また、イニシアティヴ成立のための署名活動で教師は中 心的な役割も担っていたからである。

次に動物保護協会では比較的多くの高位の公吏(チューリヒ ベルン)や中位の 官公吏(ベルン、アールガウ) が会員であったことである。 
このことから動物保護協会が特に地方行政とのパイプを持ち、 
地方政治に影響力を行使することが可能であったと推測できる。 

さらにチューリヒでは国民議員 (国会議員) の会員も多く、 
彼らを通して連邦行政にもアクセスがすることができたのである。 
このような連邦 または自治体行政に携わる会員の存在が、 
動物保護協会の動物保護に関する規制や法令の制定への関与を容易にし、 
これにより協会は国家や自治体の役割の一部を引き受けることが可能となったのである。 
つまり、 連邦や自治体がおこなう事案を協会が補完的に行う協会の機能は、
このような人的な繋がりにより可能であったといえるだろう。

最後に、 手工業者が 1860年チューリヒを除き、 
会員の中で比較的高い割合を常に占めていた点である。

手工業者は、 1830/31 年の自由主義運動や、 
その後のよりラディカルな改革を求めた急進派の運動など、 常に政治的な変革運動の支持者であった。

1870年代には、1860年代から顕在化した社会問題の解決を求め、 
ブルジョワ中産階級」と彼らを支える政治的エリートの権力や影響力を制限しようする民主化運動の担い手の一つが手工業者であった。 

そしてこの民主化運動を通して、手工業者をはじめとする中間層、 小市民層や農民層、 一部には労働者層の社会的・政治 的影響力が増し、 
彼らはかなりの程度で市民社会へ統合されていったのである。 

市民社会の産物としての協会(動物保護協会)において、 手工業者が中心的なグループの一つであったことは、
彼らの市民社会への統合を裏付けるものであり、
また彼 らは政治的な活動だけでなく、 動物保護という市民的活動においても中心的な存在 であったといえよう。

3.2. 動物保護協会における女性

1860年代から 1870年代において、動物保護協会には全体の約 16% ~22%の女性 会員がおり、
19世紀後半にまだ女性を締め出していた協会が多数あったことを考えれば、比較的多くの女性会員がいたといえる (表3参照)。 

チューリヒとアールガウ の動物保護協会設立のきっかけは、 動物虐待に心を痛めた女性の訴えであったし、 
動物保護は博愛主主義につながる思想のため、 
女性が比較的関心を持ちやすく、参加しやすい協会であったが、
当時女性には市民権がなく、 協会内でも消極的な存在
であった。 
1890年代を見てみると、 女性の会員数は、
ベルンでは1870年代から約2 倍に増加しているのに対し、 
チューリヒとアールガウでは会員数の変化はほぼない もののその割合は大きく減っている。 

一般的には下層市民層が社会的地位を獲得し、 
動物保護協会でも彼らの会員数が伸びた一方、
女性がチューリヒとアールガウで増 加しなかったのは、下層市民層の女性の入会が少なかったのではないかと推測できる。 
職業申告があった女性会員の数は少数で、そのほとんどが教師で、 大半は上層市民層の主婦や寡婦であった。

3.3 スイス社会における動物保護協会

最後に、動物保護協会のスイス社会における位置付けをするため、
スイス全体の 社会構成と動物保護協会の社会構成を比較する。 

1900年頃のスイスの就業者における社会階層(表4参照) は、 
上層市民層 4.9%、 下層市民層 32.2%、 下層 62.8%から 構成されている。 
この割合を3協会の1890年代の平均、上層市民層 31%、下層市民層 44%、下層 3.4% と比較すると、
動物保護協会は市民層、 特に社会全体と比較すると上層市民層の割合が高い協会で、 
当時社会の60%以上を占めていた下層がほとんど存在しない協会であった。 

動物保護協会は会費を低く設定するなど入会しやすい環境を作ったが、
19世紀末の段階では下層に属する人びとを取り込むことができていない。
彼らは動物保護よりもスポーツや労働組合など実益を伴う協会にまず入会したのではないかと考えられるだろう。

表4: 就業者におけるスイスの社会構成

19世紀後半スイスにおけるユダヤ教の屠殺方法 シェヒターの禁止 動物保護協会の活動と会員の社会構成を中心に

終わりに

19世紀半ばからユダヤ人の存在、 解放、 増加などを背景として、
散発的、 地域的 に行われたシェヒター禁止運動は、 1880年代後半にドイツ語圏動物保護協会により、 
全国規模で展開され、 シェヒター禁止は、 イニシアティヴという直接民主主義的な 手段によってその是非が問われた。 
1893年国民投票においてシェヒター禁止が可決され、最終的にその禁止が連邦憲法に規定された。 
シェヒター禁止運動の中心的存在であったベルン、チューリヒ、アールガウの動物保護協会は、
地域によって多少の差異はあるものの、 
広義の市民層によって構成された協会であった。 

1860年代以降の民主化運動の影響もあり、 
動物保護協会においても中間層 (下層市民層)、特に新中間層の勢力が強くなったが、 
当時のスイス社会の60%以上を占める下層に属 する人びとの入会はほとんどみられない。 
しかし、一口に市民層といってもその内部は多様で、 
経済市民層から手工業者まで広範な市民層が動物保護協会の会員であった。 
本来なら接点がない階層が動物保護協会という場を通して接点を持つことが 可能となったのである。

広範な市民層が会員であった動物保護協会ではあるが、 協会内にはヒエラルキーが存在し、 
上層市民層に属する会長や一部の幹部会員の影響力は大きく、 協会の活 動方針は会長をはじめとする上層部によって決定されていた。 

つまり、 シェヒター 禁止運動は、地方都市のエリートに属する市民を中心として展開され、 推進されていた。 地方の政治や社会に影響力を持つエリートたちは、
互いに協力しあい、 新し く手に入れたばかりのイニシアティヴという手段を使い、 
シェヒター禁止を連邦憲 法で規定するという国家的な事案にまで影響を及ぼしたのである。

動物保護協会は、 動物保護が活動目的であったため、表向きは社交の場としての機能を持っていない。 
しかし、 動物保護という共通の目的、 特にシェヒター禁止という共通の目標を持った、 
本来は社会生活上多くの接点を持たない広義の市民層に 属する会員同士が実際のコミュニケーションや議論を通じ、 
あるいは機関紙を通じ て価値観や世界観を共有し、
連帯感を深めていったのである。 

スイスではカントンの独立性が高くカントンを超えたつながりが成立しにくいと言われているが、
シェヒターという彼らがいうところの
「スイス文化とは相容れない文化」を排除するという共通の目的のもとに各地域の会員が交流を持ったのである。 

この意味において 動物保護協会にもカントンを超えたナショナルな連帯感を強める機能があったと言えるだろう。 
動物保護協会は決してナショナリズム運動が目的の協会ではない。 
しかし、19世紀後半、 近隣諸国での相次ぐ国民国家の成立に対する危機感、 
外国人、 特に外国人労働者の増加による自国文化の消滅への危機感、 経済危機をきっかけとする保守化傾向、 カトリック保守との政治的な和解を通じた伝統回帰などの社会情勢を背景に、 
動物保護協会の運動も意図せずしてナショナルな傾向を帯びていたの である。

 

http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es12_akiyama.pdf

 

Yoko Akiyama
https://researchmap.jp/oetlis

 

シェヒター(シェヒーター)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%92%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

 

〈こちらも参考にして下さい〉

1646年、当時のスイス政府は国内にいた全てのユダヤ人を退去させることを決めた。だがユダヤ人を受け入れたい国はなく、ユダヤ人たちはバーデン伯爵領にとどまることになった。そこは全同盟の属領地だった‥

https://www.swissinfo.ch/jpn/multimedia/%E5%AE%97%E6%95%99_%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A5%A5%E5%9C%B0%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0/45387118